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1947
沖縄県うるま市生まれ。
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1958
11歳の時に29歳の若さの母親を癌で亡くし、母の仇を討つために
医者を志しました。
「癌という病気で亡くなったんだよ」と言われ遺骨の入った骨壷を
抱いて納骨に行った記憶は、悲しいよりも悔しい気持ちが高じて仇を
取ってやるという怒りの方が医師への扉を開いた。 -
1965
鹿児島に着き初めて本土の土を踏む
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1972
大阪市立大学医学部を卒業、医師免許取得、沖縄県立中部病院の
外科で5年間研修医として従事 -
1976
ハワイ大学臨床研修終了
後の妻厚子さんと巡り会う -
1977
結 婚
1977年から東京築地の国立がんセンター病院外科レジデント -
1980
がん専門医として国立療養所松戸病院
(現:国立がんセンター東病院)にて外科部長赴任 -
1982
千葉県亀田総合病院ICU室長として赴任
「患者第一主義」と「チーム医療」を1863年から150年追及して
実践してきた米国のメイヨークリニックのような病院を目指した -
1984
埼玉県医療生協羽生病院理事兼副院長として赴任
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1987
中国吉林省長春、白求恩医大等で肺がん実験2千キロの旅に就く
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1988
故郷の沖縄で無医村だった沖縄中部の中城村に175床の
「沖縄ハートライフ病院」を開設し、理事長兼病院長に就任 -
1997
執刀医としてのメスを置いて、統合医療の道に向かうことを決意
同年、日本病院会の常任理事に就任 -
1998
沖縄県中部地区医師会の副会長に就任
同年、日本で初めて300床の全床個室化に踏み切り
「心の平和・体の平和」という恩師に教わった行動原理を実現した -
2001
病気の予防・医療・介護サービスを統合した複合施設を
天然温泉が沸く宜野湾市大山に「統合医療センター」を開院
有限会社環と介護支援センターさんだん花・通所介護事業所開設
特定非営利活動法人日本医学交流協会医療団理事に就任
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2002
介護支援センターさんだん花居宅介護支援事業所を
介護支援センターさんだん花に名称変更 -
2004
妻厚子さん子宮がんを患い永い眠りにつく
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2005
日本医師会認定産業医資格取得
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2011
通所介護予防通所介護事業所をデイサービスさんだん花に名称変更
サービス付き高齢者向け住宅「さんだん花ガーデンを開設」
さんだん花ガーデン整骨院開院
国際統合医療学会主催 -
2015
今後増え続ける認知症を始め、高齢者が安心して暮らせる
住まである高齢者向け住宅「ハピネスさんだん花」落成 -
2016
日本医学交流協会会長就任
ヘルパーステーションさんだん花開設
リハビリ型デイサービスさんだん花カデナ開設
有限会社環を株式会社さんだん花に名称変更 -
2023
米国Openventio Publishersで
低分子量フコイダンとナタマメ抽出物で治療した
子宮内膜がんの多発性肺転移の完全寛解について論文発表
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My way of thinking
「望みあるところに光あり」
常にこの言葉を自身に言い聞かせて
一歩一歩前へ統合医療とは近代西洋医学に補完・代替医療、伝統医療などを組み合わせた東洋医療の長所を取り入れた医療で患者第一主義患者目線の医療を目指すなら画一的な治療ではなく、患者をあらゆる面からみて、各人の生きた物語を読み説き、尊重する医療こそが人と人との全人的な医療を目指す。
補完・代替医療とは西洋医学の範疇に入らない医療となるが整体鍼灸、アーユルヴェーダなどの伝統医療や免疫療法、薬効食品やサプリメント、ハーブ療法、アロマセラピー、ビタミン療法、精神・心理療法、温泉療法など多数存在する。
代替療法の目的は自然治癒力、免疫力を高めることにあり、
病気にならない体に戻すことを目指した。
東洋の伝統医学は肉体のみならず、精神にも目を向け、自己の持つ自然治癒力や免疫力を高めながら疾病の治療を施していくことを基本とし、現代西洋医療と代替医療を融合させその患者に最適と思われる療法を作り出していくことが天願院長の望む統合医療である。 -
My way of thinking
医療と介護の2本柱は相互関係でなく
てはならない。と考える天願院長の
考える在宅医療の基本「い」「ろ」「は」「に」「す」「めし」=移動、風呂、排泄、認知、睡眠、食事が基本であり、多職種が連携して情報を共有し親身なケアを行えば患者様のADL(活動範囲)とQOL(生活の質)は保たれると考えます。患者様のご自宅を訪問すると、さまざまな病気の要因が見えてきます。
天願院長は患者様と信頼関係を築き、生活の向上をアドバイスし、病気が芽のうちに摘み取って差し上げる。
内科や外科の枠を超えて患者様の生活全体を診ることができる往診をする医師が天願院長長年の夢でした。
現在では訪問診療・在宅ターミナルケア・がんのセカンドオピニオン外来・低分子フコイダン療法に力を入れており、がんのセカンドオピニオンは千件以上行うエキスパートで患者様の生活の質を重視した治療を行っています。
一人ひとり健康づくりに取り組む空間、東シナ海を染める夕日を眺めながら地域の皆様と共に「ゆとり」ある健康的な街づくりについて語り合いたいと思います。 -
My way of thinking
ぬくもりのある家族のようなケア
介護施設に通うお年寄りに雄大な眺望を楽しんでもらいたいという思いから妻厚子さんがこの地を選んだ。
施設長として介護施設の経営に心血を注いだ厚子さんは開設3年目に子宮がんに倒れた。
化学療法、放射線治療と治療を続けたものの、がんを完全に抑えることはできなかった。
最期までの1年間、家族全員で介護にあたり妻の死を通して「命の尊厳」を再確認した。
この体験は患者様と向き合うとき、話を遮ったり、目をそらしたりせず全てを傾聴してからアドバイスをする姿勢として生かされている。
死の直前まで元気に自分らしく生きる「ピンピン・パタイ」の精神など厚子さんから学んだ患者の心を患者様に返していきたい。
母に授かった天職を続け、妻への感謝。
PROFILE
- 沖縄県立中部病院外科レジデント修了
- 国立がんセンター病院 外科レジデント修了
- 国立療養所松戸病院(現 国立がんセンター東病院) 外科医長
- 千葉県亀田総合病院 I.C.U 室長
- 埼玉県医療生協 羽生病院 理事 兼 副院長
- 沖縄ハートライフ病院 開設 理事長 兼 病院長
- 特定非営利活動法人 日本医学交流協会医療団
理事
- 統合医療センター 開設
クリニックぎのわん 院長
- 日本医学交流協会 会長
特定非営利活動法人 日本医学交流協会医療団
会長
さんだん花のロゴマークは「手足を大きく広げて喜びを体中で味わっている人」をあらわします。大きな花ではなく、小さな花をたくさん咲かせてね!と言い残して天国へ旅立った妻 厚子さんの願いも込められています。
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